の機会がめっきり減ってしまった、だから子供たちに体験の機会を提供できるような工夫が必要だという構成になっています。 ところで、なぜ直接体験の機会が減ってしまったのでしょうか。それを理解するにはもう少し補足が必要です。まず、この答申が出されたのは、ちょうど学校における詰め込み教育が社会問題となり、いわゆる「ゆとり教育」へと教育政策が方向転換していく時期でした。勉強に時間を取られてゆとりのない生活を送る子供たちには、実生活や実社会についての豊かな体験を送る暇などなかったのです。「ゆとり教育」における授業時数や授業内容の大幅削減、完全週休二日制の導入にはそれを改善しようというねらいがありました。 しかしよく考えてみると、実際に起きていたのは、ただ直接体験の機会を量.的に..増やせば解決できるような簡単な問題ではなかったことが明らかになります。つまり、この答申の見通しは少し甘かったのです。この点について詳しく見ていきましょう。上の引用の最後の一文には、「体験活動は〔……〕家庭や地域での活動を通じてなされることが本来自然の姿」であると書かれています。しかし実際のところ、高度経済成長を経た1970年代以降の日本では、家庭や地域での活動の質.自体が大きく変わってしまっていました。子供が親の家業を継ぐのが当たり前の時代には、家庭や地域で働く大人たちの姿を見てその仕事を手伝うこと(つまり家庭や地域で直接体験をすること)が、これからの自分の人生に直結する「生きた経験..」を得ることにつながりました。そこでの経験と結びつけさえすれば、学校での学びは自分の生活や人生について考えることにつながったのです。しかし、親がサラリーマンとして会社に働きに出るのが一般的になると、子供たちは家庭や地域で大人が働いている姿を見て学ぶことが難しくなります。それどころか、家業を継ぐ必要がなく、将来自分がどんな職業に就きどんな生き方することになるのかも分からないため、家庭や地域でいくら直接体験をしようとも、以前のようにその体験を自分の人生を豊かにする「経験」にしていくことは容易でありません。しかも、科学技術などの進歩に伴って社会自体が日々変化しているのであれば、なおさら自分の人生を思い描くことは困難でしょう。 以上から明らかになったのは、ただ直接体験の機会を増やしてもそのまま自分たちの人生や生活が豊かになるわけではないような時代に、私たちが生きて
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