「大仏殿がある」「若草山がある」「二月堂がある」「南大門の屋根が見える」など、物に目がいくでしょうか。もちろん、奈良県に住んでいる人と県外の人では、全く答えが違うでしょう。この写真を小学校6年生に見せたことがあります。「奈良公園」「東大寺」「空」「山」「飛行機雲」という回答はいいとして、「ゴルフ場」「つの」「パセリ」「風」「にやけ顔」「おとうさん」という回答もありました。みなさんは、その回答が、写真の中のどこを指しているかわかりますか。昔から、人には「視覚」「聴覚」「味覚」「嗅覚」「触覚」という五感が備わっていると言われてきました。さらに、理屈では説明しがたい心の働きのことを「第六感」と表現することもあります。これらの感覚を得るために、目や耳などの感覚器官が備わっています。何のために備わっているのでしょうか。子どもたちに訊くと、すぐに「見るため」「聞くため」「味わうため」「匂うため」という答えが返ってきます。ただ、触覚に関しては、「触れるため」とは言えなくて、(あれ、触れるために触れる、ではおかしいな)と、少しためらう様子をみせます。そこで、もう一歩、踏み込んで訊いてみることにします。「私たちは、何のために、見たり、聞いたり、味わったり、匂ったり、触ったりしているのでしょうか。」年齢や経験によって、回答の内容も表現もバラバラですが、多くの場合、最後にいきつくのは、「五感は、生きていくために必要だから備わっている」です。
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