りとりできるようになるために、話す、聞く、読む、書くという情報伝達手段を磨いていく教科だという見方ができます。そう考えると実は、こざき先生は、二刀流で国語と情報を教えているのではなく、どちらも情報という共通のものを、視点を変えて教えているだけで、対極にある教科を扱っているわけではないということがわかっていただけると思います。4 情報とは何か さて、ここで、ようやく本題です。これからみなさんに、少しだけ情報を提供します。次の文章を読んで…私から情報を受けとってください。 新しい情報を受けとったところで(もともと知っているかもしれませんが)もう一度、先ほどの奈良県庁の屋上から撮影した写真を見直してみてください。いかがでしょうか。写真の風景が違って見えませんか。県庁の屋上から東を望むと、東大寺の甍と山々が近くに見えます。左から、三笠火山帯とよばれる若草山?三笠山?高円山の山々が連なっていて、これに続く春日山?春日野台地とともに、実は大昔の噴火による岩石からなっています。その中でも、若草山は、噴火の中心が移動しながら三回にわたって溶岩丘を噴出したため、三重の山となりました。若草山の山頂には、5世紀ごろ築造されたと考えられている全長103メートルの巨大な前方後円墳があって鶯塚古墳と呼ばれています。『枕草子』に登場する「うぐいずのみささぎ」がこの古墳だろうと言われていて、古墳のそばにある大きな石碑は最近のものではなく、1733年に建てられたもので、古墳を説明する石碑そのものも貴重な文化遺産になっています。『枕草子』以前の記録がないため、今では清少納言が名づけ親ということで人々に親しまれています。江戸時代に、「鶯塚から幽霊が出る。ときどき悪いことが起きるのはきっとそのせいだ。年が明けてから山を焼いておくと、幽霊が怖がって出なくなるらしい」という迷信が出回り、実際に放火が絶えなくなったそうです。火事になることも怖いので、鎮魂のために東大寺、興福寺、奈良奉行所が立ち会って山を焼くようになったそうです。それが今の山焼きのはじまりで、今では冬の風物詩。真っ黒になった山が若草色に包まれると、奈良に春が訪れます。
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